2024年7月12日金曜日

報恩の集い

こんにちは。宗教科の宮﨑です。  

本日、報恩の集いを行いました。  

報恩の集いでは、イソップ寓話の「羊飼いとオオカミ」を通して人の「居場所」について考えました。 







「羊飼いとオオカミ」では、羊飼いの男の子が、オオカミが来たと村人にウソをつき続けます。ある日、本当にオオカミが来て男の子は村人に助けを求めますが、誰も信じてくれず、助けがないままオオカミに羊が食べられてしまうお話です。 

 この話は、ウソをついた悪い男の子には、悪いことが起きて当然として、ウソをついてはいけないことを教えてくれています。

 しかし、羊飼いの男の子の置かれている状況をよく考えてみると、実は男の子は可哀想だったのではないかと思えてきます。誰もいないところで一人ぼっちで羊の面倒を見せられ、いつ狼が襲ってくるのか分からない。他の子どもたちは見当たらないし、村の大人たちは誰一人声もかけてくれないし心配もしてくれない。もし、ウソをつくことでしか周りの大人たちを振り向かせることができないならば…。

  実は、この羊飼いの男の子は、誰かに振り向いてもらいたかったのかもしれません。そして、振り向いてもらうためにウソをつくことを思いついたのかもしれません。少年のウソは、僕は「ここにいる」という叫びだったのではないでしょうか。

  親鸞聖人は、「縁によって人はどんな行いもしてしまう存在である」と言われています。私たちは羊飼いの男の子のようにウソをついてまではしないと思いますが、それでも男の子の状況を考えると、寂しい気持ちに共感することができます。

  この男の子が、誰からも優しさを受けたことがなくて失敗をしたならば、誰かから優しくしてもらうことでしか立ち直ることはできません。

  ここまで話した後、敬愛小学校の児童には、みんなも誰かが失敗したときに慰めたり励ましたりすることのできる人になってほしいと伝えました。そうすれば、あなたがその人の心の居場所になってあげることができます。そんな人が周りにいてくれたら羊飼いの男の子ももう一度人生をやり直すことができるのだと話しました。


 子どもたちは先生の話を最後まで熱心に聴くことができました。